私にとって湯葉は“愛”そのものなのです。

はい、生まれた時から湯葉やの子です。おじいちゃんが二三(にぞう)、その前の先祖も皆「二」のつく名前でね、だから店の名が「湯葉に」。お父さんだけがなぜか源三で「二」がつかへんのやけど(笑)。子供の頃は窯のそばが遊び場でした。おがくずの燃える匂いと、豆乳の甘い匂いが混ざり合って、何とも懐かしい居心地の良さがあって。遊んでいると、時たまおじいちゃんが「ほれ」と固まりかけの湯葉を口に入れてくれるのですが、そのおいしかったことと言ったら!私がおいしい湯葉を食べさせたいと思う気持ちには、そんな自分自身の原風景があるように思います。

料理の根底にあるのは母の教え

「湯葉に」が料理をお出しするようになったのは、昭和50年(1975)頃のことです。それまでは湯葉と言えばどこでも乾燥湯葉を作っていて、いまお店でお出ししているような『とろみ湯葉』や『さしみ湯葉』などは、湯葉やだけが味わう特権のようなものでした。私が子供の頃、おじいちゃんが出勤途中の知り合いをつかまえては、「まあおいしいから食べていき」と無理強い?していたのをよく覚えています。
料理屋を始めてからは、母が女将となって様々な料理を工夫していきました。母が心がけていたのは、“手を加えすぎない”ということ。手を加えれば加えるほど、素材が本来持っている栄養素が破壊される、だから料理はできるだけシンプルに、が母の口癖でした。その教えをいまも私は守っています。